2008年01月01日

隔離―故郷を追われたハンセン病者たち

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価格(税込):¥ 1,050  人気 171614 位  

著者:徳永 進
  
出版社/メーカー:岩波書店(2001-09)

らいを病んだ人の体験談にあらためて胸がうたれる  この最初の聞き書き「歩きました、座りました、待ちました」を読んで呆然としてしまった。ここでは村落共同体から危険と認識されたら容赦ない攻撃にさらされることが実にたんたんと語られているからだ。これは著者にとっては最初の記録であり、とにかく語られた言葉を忠実に起こしていったと思える。その語る人の呼吸までが感じられる。 らい患者にとっては、現在では誤りが明らかになった終生強制隔離の思想「ライは最愛の家族に感染させてその生命をほろぼすとともに、その部落を汚し、村を汚し、地方全体にそのわずらいを及ぼすのである。互いにその害を避けるためには早く療養所に入って治療を受け、菌を外部に散らさないようにすることである。それが最上の道なのだ。家を潔め、村を潔め、県を潔めて国からライをなくしてしまう。そのためには、一人のライも健康者の中に混じっていてはならないのである」(光田健輔「回春病室――救ライ五十年の記録」)の被害者としての苦痛のほうが、病気の苦痛よりはるかに深刻で悲痛であったという重いやりきれない事実だ。でも、その時もしそこに私が住んでいたら何をしていただろうか。知り合いの患者でもいなければ、強制隔離もやむを得ないと考えたのではないか。 「四国遍路に出て、それで治らなんなら、弟とあんたはもう戻らん気でおれ」って。それを聞いて、夜を待って、その家の戸口の前で首くくって死んだろかって、本気で思いました。 (きょうだいだけの日々) 病者を時には犯罪者と同様に扱かい、地域社会もこれに協力してきたという事実をこのような記録で私たちは実感していくしかない。光田健輔は医師に成りたての頃、家族に見捨てられて街頭で物乞いしているライ者を見て、ライを日本で根絶させることを生涯の仕事とした人である。彼の提唱によって設立されたライ療養所で救われた患者はたくさんいたはずだ。彼はライ撲滅のために命を賭けた人だ。家族主義的な施設運営ゆえに、ある程度の患者の信頼を得ていた。また隔離政策によって、1903年のライ者数23815名が1954年には13000名に減っているという。しかし、彼が見据えたものは個々の患者の将来ではなく、国家の将来、人類の幸福だった。日本の将来、人類の福祉のために、患者の多少の犠牲はやむをえないという信念だった。彼は自分がもしかしたら間違っているかもしれないという危惧を持たなかった。この曇りのない信念のため、新薬によって感染力が極めて低くなっても伝染の可能性があるかぎり隔離の必要性を説いた。国家を介して強制しなければ根絶しないと考えていた。医療とは何か、差別偏見に加担していた地域社会とはなにか、はたまた人類の福祉とは……。ここから得られる教訓は多い。 この本では、語り手の実名は伏せられ、故郷の町や山や川は、イニシャルで表記されている。1980年代になっても、このような哀しい配慮をせざるを得なかったことに、私たちの社会の精神的な貧しさが如実に反映され、情けなさとともにやるせない怒りを感じる。

・ ハンセン病問題は終わっていない (岩波ブックレット)
・ 差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も (平凡社新書)
・ 「隔離」という病い―近代日本の医療空間 (中公文庫)
・ いのちの初夜
・ ハンセン病重監房の記録 (集英社新書 (0339))




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